清水愛子ブータン紀行5。ブータンに到着して3日目に首都ティンプーから冬の都プナカに移動。プナカの農家を訪問し昼食。

3日目ティンプーから冬の都プナカへ出発。

ティンプーからプナカまでは距離にして80キロ程。しかし、道路の壁土の舗装が半分とアスファルト舗装が半分(センターラインはなし)の国道(私たちの農道と同じ状態)。未舗装道路は前日の降雨でトロトロ状態の泥んこ道路。行き交う車のほとんどが屋根からたっぷり泥かぶり。また、ゆうゆうと道路の真ん中を歩く牛たちに静かにクランクションを鳴らしての徐行運転。

さらに標高3,116メートルのドチュ・ラ峠(一面の霧でヒマラヤは見えず)越え。でも運転手のゲンさんは上手に運転してくれたので車酔は一切なし(酔い止めは服用)。曲がりくねった1千メートル以上の標高差をものともせず私たちをプナカにつれて行ってくれた。

また、ガイドのアクウさんは流暢な英語とゾンカ語で丁寧に説明してくれた。みんな彼のガイドに心打たれた。

山肌にポツンポツンとブータン様式で建築された色彩豊かな農家が見れる。棚田が眼前に広がった時は興奮でしばし言葉を失しなった(日本にも棚田100選がある)。

緑一色の世界。ブータン様式で建築された農家の家々はグラデーションに富んだ緑とマッチし夢の世界。高台に建つKさんの友人宅ソナムさん家には、家族4世代10人が住んでいた。

おじいさんが満遍の笑みで出迎えてくれた(でも当主がおばあさんなので、おじいさんは控えめであまり姿は見えない)居間や仏間がある2階に案内され軽いあいさつのあと仏間に通された

五体投地しながらグル・リンポチェとお釈迦様の仏画を3回拝んだ(位牌も遺影もお墓もない。死者は49日を過ぎると輪回転生し何かに生まれ変わるから)

居間には沢山のブータン料理が並べられていた(聞くところによると前日から皆さんでごちそう作りに精を出したようだ)ブータンでは招待客にはまずバター茶を出すとのこと。高校生の娘さんがなみなみ注いでくれた(ちょっと苦手な味)。

お料理も「どうそ、どうぞ」と勧められた。前日レストランで食べたブータン料理(とうがらし中心)の辛さを体験していたので「リトル、リトル」と言いながらごちそうになった。どの方も笑顔いっぱい。言葉が分からなくても、握手し方を叩き合いながら肌で感じた親しみ。

ブータンの子供達は英語力がついているが、私は英語力が未熟なため会話が成立せずとてもとても残念残念の思い。

私たちが持参したお土産(長靴、麦わら帽子、腕ぬき、ゴム手袋など)をとても喜んでくれて肌身離さない様子をみて満足感いっぱいとなった。あっと間に時間が過ぎた。いよいよお別れの時。輪廻転生を信じているブータンの人々は「さよなら」は言わないといわれ「See you again」と手を振った。

私達の乗った車が見えなくなるまで皆が手を振ってくれた。また、私も肩がだるくなるほど手を振った。これが2回目の涙になった。

●2016年7月ブータンの小学校に鍵盤ハーモニカを寄贈するためブータンを訪れた時の紀行文です。

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