ブータンの農家を訪ねて思ったこと ブータンは なぜ「幸福大国」と呼ばれるのでしょうか?
2016年7月20日より9日間の日程でブータンへ行ってきました。今回の旅行目的は10月に行われるブータンと日本の友好コンサートの打ち合わせです。
この交歓演奏会に日本から35名の合唱団を連れて行きます。首都ティンプーのクロックタワー広場に特設ステージをつくりブータンの小学生と一緒に日本とブータンの曲を合唱する予定です。交歓演奏会については次回報告します。
コンサートの打ち合わせ後、日本のJICAの援助で設立された農家民宿共同体を視察してきました。幸せ大国と呼ばれる原点がもしかしたら農村にあるのではと考えたからです。
今回訪れた農村は首都ティンプーから車で八時間程かかるポブジカの谷です。ポブジカの谷はスイスによく似た山間の集落で、絶滅危惧種に指定されているオグロ鶴がチベットから飛来する場所として世界的に有名です。
ポブジカは数年前まで鶴が電線に引っかからないよう電線の施設を断念し電気のない生活をしていました。数年前スイスの援助で地下に電線を埋没し電気が灯されました。一部の部落では現在も電気がない生活をしています。
私が泊まった農家は、両親と小学生の男の子と三人で暮らしています。長男と長女はポブジカから遠く離れて寄宿生活をしているそうです。ポブジカは寒さが厳しくお米が出来ない為じゃがいもが唯一の農作物です。じゃがいもをインドやバングラディシュに売って生計をたてているそうです。酪農も盛んで各家庭で牛を飼っています。農家の現金収入は少なく酪農とじゃがいもの販売だけでは生活出来ないのでホームスティを始めたのだそうです。
現在20軒の農家が共同体をつくりサービスの向上に努めているそうです。例えばトイレ、食事の品数、寝床の清潔度など一定の基準を設けているそうです。農家にホームスティしブータンの暮らしぶりを体験することができます。
この共同体が出来てから二年しか経っていないのでまだまだ改善する余地は沢山残っているようです。年間ボブジカの谷を訪れホームスティする旅行者は四百人程ですが年々増え続けているそうです。
ポブジカの農家の暮らしぶりを紹介します。旅行者が気になるトイレは水洗化が進んでおりバケツから桶で水を汲みトイレに流す簡易水洗ですが以前に比べたらかなりの進歩だそうです。以前は家の外にトイレがあり汲み取り式でした。
寝床は四畳半位の広さでマットレスに布団を敷き清潔なシーツを敷いています。寝室のドアはなく入り口にカーテンがかかっている程度です。我々日本人は布団を床に敷いて生活しているのであまり抵抗がありません。
食事は家族と一緒に居間で車座になり食べます。ブータンは手で食べる習慣があり食事を食べる前に一握りのご飯を手で握り手を綺麗にしてから食べます。手で握ったご飯は自然界の動物に与えるのだそうです。首都ティンプーのローカルレストランでは213粒のお米を指ではじき出してから食事をしていました。外国人にはスプーンとフォークがついています。食事は至って簡単で野菜の煮付け、唐辛子のチーズ和え、スープ、肉と野菜の炒めもの等で赤米が沢山ふるまわれます。
ブータンのお風呂はドツォと呼ばれる石焼風呂です。石を焼いて浴槽に沈めお水を温めてから浴槽に入ります。浴槽は木で出来ておりハーブを入れて丁度お湯かげんがよくなってから入ります。日本人は湯船に入る前に体を洗ってから入りますがブータンでは体を洗う洗い場がないので下着を付けて入ります。ブータン式石焼風呂は沢山のハーブと焼いた石からでたミネラルで体がぽかぽかしお風呂から出た後でも湯冷めしません。石を焼くのは大変な仕事で月に数回しかお風呂には入らないそうです。ブータンの農家では、外の水道で体を拭いているのを目にします。若者は近くの川で水浴びをして体を洗うのだそうです。
ポブジカの小学校を訪ねました。朝の朝礼で全員が両手を合わせ皆で合掌する光景は日本では見られない光景です。仏教が生活の中に密着しているのが分かります。これから一生懸命勉強しますと誓いをたてているのでしょうか。最後に数分間瞑想して朝礼が終わります。
ブータンの農村地帯は日本の5、60年前と良く似ており懐かしさを覚えます。しかし最近はテレビや携帯電話が普及し農家の暮らしぶりは急激に変わって来ています。子供達も地元の高校を卒業すると大学に進学し寄宿生活をしています。ブータンは大学まで無料で進学できますが試験はかなり難しいと言っていました。
日本から見たらブータンは貧しい暮らしぶりですがブータン人はこれが普通の豊かな暮らしですと言います。足るを知る生活をしています。日本は農村でも核家族化が進んでいますがブータンでは二世代三世代が一緒に生活しています。大勢で夕飯を食べる幸せを大切にしているようです。物質面は貧しいけれど精神面は本当に豊かな国なんだなと思いました。 ブータン人は毎日の生活が特別幸せと感じていないようですが日本が失ってしまったものが沢山残っているようです。